BUSTAFELLOWS~バスタフェロウズ/真相ルート感想

 アダムとイブは、本当に神を裏切ったのか。

BUSTAFELLOWS(バスタフェロウズ) - Switch

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 真相ルート、どう受け止めて良いのか未だに分かっていない。このゲームを名作と評するのに躊躇するのも、このエンディングのせいなんだよね。だけど、この後味の悪いエンディングがバスタフェらしさなんだろうし、普通の乙女ゲーから外れた作品であることは確かで、そういう事を加味すると評価されるべきなんだと思う。頭ではそう思っているんだけど…!

 

FULL SIRCLE

ショタ枠は可愛ければいい、二面性なんていらない!二面性なんかいらないんだ…。見た目は子ども、頭脳は大人、その名も名ウェイター アレックス!まさかのコナンくんでした。弱い者同士が手を取り合って強く生きるために作った組織がルイ・ロペスだったのに、そこに力を持つ人が加わると私欲が渦巻いて〝助けたい〟の気持ちで手を取り合う事が出来なくなるなんて 皮肉。

でも、「兄がお前を殺そうとしている」と聞いて、殺られる前に俺が殺る。と判断するアレックスも、力を持っておかしくなっていたんじゃないのかなあ。狂ってるとしか思えないけれど、元々スラム街出身だと、自分が生きるという事にここまで必死になるしかないんだろうか…。アレックスが可哀想なのは可哀想なんだけど、何故か殺そうとした兄の恋人に近づいて距離を縮めて…って、あんまりよく分からない、発想がぶっ飛んでいて気持ちに寄り添えない。アレックスがここまで重要人物なのであれば、もうちょっと本編で見せ場があって欲しかったような気もする。出来るなら、こうなってしまったことに同情したかった。

 

カルメンさんブチ切れてたな…クソガキって…言ってたな…。置いてけぼりプレイヤーからすると、兄弟どっちもどっちだったのかなと思うので、カルメンさんを可哀想だとも思えなかったんですよね。でも、カルメンさんは家族を造ることを夢見ていて、ずっと夢見ていた家族になる相手が、自分が世界で一番憎んでいる人であることは すごくすごく可哀想だと思う。大好きな人の家族だから、という理由で殺したいアレックスを養子にすることを選んで、アレックスはきっと罪悪感を拭うためにカルメンの理想の家族を装う。こんなに悲しい家族を造って良いのか…。でも、最後カルメンさんが許せないと言いながらアレックスを養子にすることを話してくれたけど、結局はアレックスを好き、その感情で動いていると思いたい。繋がりってなんなんだろう。そしてカルメンさんの声優が柿原徹也だったことに何か理由はあるのか。

 

逃走するアレックスをホテルで追いかけている時、エレベーターでテウタとリンボが13階まで移動している中、階段で向かうシュウの方が先回りしているの凄いな…殺し屋ってそんなに足速くないとダメなのか。そして、そのシュウが追い付けないほど足が速いテウタはもっとすごい。

 

AULD LANG SYNE

アダムのしたことを〝鮮やかな悪〟と表現したくない。彼は、間違いなく、正義だ。

乙女ゲームで、主人公の兄が主人公の代わりに 主人公の大親友をレイプして、その場に立ち会わせてしまった幼馴染が主人公を守るために殺す。いやこれ…いやこれ何で…。性犯罪がある乙女ゲームって…。その時を思い出した被害者ルカの叫び声が辛くて、思い出しただけで胸が張り裂けそう。あああ…つらい、何も出来ない…。

何が辛いって、もちろんルカがされたこと、アダムがしたことだけど、何よりもテウタに事実を隠していたこと。普通は無理だよ、特にルカは、テウタが悪いわけじゃなくても、自分に性犯罪をした男の血縁者に普通に振る舞うなんて出来ないよ。アダムもルカも、自分の中の恐怖や憎しみ、悲しみよりも、テウタへの愛情の方が各段に大きかったんだ…と、思う。心情を考えると辛すぎるけれども。ルイ・ロペス真相ルートでアレックスが言っていた「秘密を守るのは、誰かのためなんだ」の言葉がここに繋がってくるんだ。秘密事はしない約束をしていたんだから、余計に響いてくる。

でも、それと同じくらいテウタも二人が大好きで、大切なんだよね。事実を知って、自分の中では大好きだった兄がそんな事をしていた事もショックだったろうに、それよりも咄嗟に、アダムは自己防衛でゾラを殺したんだと本人にはっきりと言わせようとする。誰もかれも、自分の感情より相手を思った行動を反射的にしていて、友情とか愛情とかそんなものじゃ表現出来ないくらい 奥の奥で繋がっていたんだ。

そんな三人がこんなに悲しい思いをしなくちゃいけないんだ…。その悲しみのままこのゲームが終幕を迎えることが何よりも悲しい。こういう時に救ってあげることが出来るのがゲームじゃないのか、プレイヤーは選択肢が出てこないと何も出来ない、ただ指をくわえながら物語の終わりを見るしか出来ない。選択肢を出してくれれば絶対に間違えないのに、この三人を幸せにしてあげられるはずなのに。と、神にでもなった気持ちでしたが、結局は無力でした。

 

そして、このゲームにはわたしと同じ傍観者がもうひとり。サウリ先生。ああぁ…サウリ先生、ヘルベチカルートで 疑ってごめんと言ったのに…やっぱり正しい人間ではなかったのか…。実際、サウリ先生は悪いことは何もやってないんですよね。フルサークルに「アダムは殺人者」と書き込みはしたけど それは事実だし、法的に裁くことはできない。ただ一般的に、この状況を楽しめるのは狂った人間だと。誰かのために手を汚したアダムより、その様子を楽しんでいるサウリ先生の方が余程悪人だと思う、きっと誰もがそう思う。でもそれって、プレイヤーのことをも皮肉っている気もして、胸が痛い。所詮わたしも傍観者だし、お金を払ってまで、このキャラクターの辛い人生を楽しんで見ているんですよね。傍観者を悪にするのって、そういう皮肉もあるんじゃないかな、と思います。プレイヤーを馬鹿にしている訳ではないけれど、こういった後味の悪さもあるんだな。

しかしサウリ先生、ヘルベチカルートで優しさ溢れるお父さんだと思っていたのに。全然ピックアップされなかったけど、ヘルベチカはだいぶショックのはず。どうしてこんな最後の最後に ヘルベチカも辛い想いをしなくちゃいけないんだ。バスタフェは、家族以外の人が家族になれるゲームだったはずなのに、ヘルベチカとサウリ先生は違ったんだ…せめて悪人ならヘルベチカルートで明かしてほしかった。それならまだ救いようがあったのに。この真相ルート、どこまで酷なんだろう。

 

アダムについて。どうにかしてほしい、どうにか救ってあげたい。願うはただそれだけ。こんなにテウタを、ルカを愛しているアダムが、どうして2人と離れないといけないの。最後テウタと幸せな夢を見て…私は永い眠りについたんだと思う。最後の線路のスチルでそう思った。何があっても、どこに行っても、三人は離れずに、ずっと同じ道を歩いていた。これからもそれは変わらないはずなのに、最後アダムは一人。この三人が同じ道を歩けなくなるのは、〝死〟以外ないと思う。そうであってほしい、という願望です。死であって欲しいなんて思うことあるのか。でもやっぱり生きていてほしいよ、何で一人でそんなところで笑ってるの、早くこっちに来てよ。

この最後の線路のスチル、映画スタンド・バイ・ミーを彷彿させるのは安直かな。線路を歩いている後ろ姿を見るとどうしても。隠された死体とか、もう二度と戻らない友情だとか…駄目だ、自分で言って自分ですごく悲しくなってきた。

 

色々な種類の愛がゲーム内で感じられたけど、アダムは見返りを求めない、ただ好きな人の幸せを願う、真実の愛だと思う。まさに名前の通り、人間離れした愛情。でもアダムの行動はまさしく愛なんだ、そうじゃないといけないのに。何でか説明は出来ない、けど、アダムは悪じゃない、絶対に悪じゃない。頑なに主張することしか出来ません…。どうかもうアダムもルカも、テウタも辛い思いはしないでほしい。もうなんだっていいので、三人がずっと美味しいもの食べて、お酒を飲んで、笑ってられる世界に行きたい。 絶対に行けると信じて、パーセンテージが100になるまで諦めずに必死にゲーム内の隠しENDを探したのに、ペペのプロレスラースチルを見て100%になった時のわたしの気持ちが分かるか。ペペは悪くない、悪くないけれど…分かってください。

 

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